死別当時15歳の私享年42歳の母
ママへ お久しぶりです。「ママへ」からはじまる文章を書くのは何年ぶりでしょうか。何から書けばいいのか、どんな言葉遣いをすればいいのか、正直ぜんぜんわかりません。 ママは今、どこにいますか?わたしのことは見えてるの?天国ってほんとうにあるの?ママが今どこで何をしているのかとても気になるけど、想像すればするほどママとの距離の遠さを実感して涙が出てきてしまいます。 もう苦しくないですか?身体、痛いところはない?気持ち悪くならずに好きなものを食べれてる?がんになってからの6年間、ほんとうに辛かったよね。入院も手術も治療も副作用も。でも、ママの涙をみたのは亡くなる前の数ヶ月だけでした。ほんとは強くないのに、怖くて悲しくていっぱい涙が出たはずなのに、闘病がんばってくれてありがとう。ぜんぜん支えになれなくてごめんね。娘失格だったと後悔しています。 ママはすごく厳しくて、友達のママを羨ましく思ったことが何度もあったけど、その厳しさが何よりの愛情だったことを今やっと実感しています。言葉遣いや人前での態度、褒めてもらえることが多いです。勉強も頑張ったから行きたかったママと同じ大学に入れたよ。「ママがいない子」なんて目で悪く見られたことはないよ、ママのおかげだよ、ほんとにありがとう。 高校最後の部活の公演も、大学の合格発表も、高校の卒業式や大学の入学式も、ママと同じ大学の学生証も、成績表も、ママにみせたいものがたくさんあったよ。ディズニーやUSJだって、旅行だって、海外だって、いっしょに行きたかったよ。ううん、近くのコンビニやスーパーでもいいから、親子隣同士で歩きたい、今でもそんな願いが出てきてしまいます。ママはよく「友達と比べないよ」って言ってたけど、ママがいる友達が羨ましくて羨ましくてどうしようもない気持ちになっちゃうよ。この先の人生がどうなるかわからないけど、もし結婚したり母親になったりしたらきっと、ママがいない悲しみと後悔をもっと実感してたくさん涙が出ちゃうと思います。もう少し強くなりたい、そう毎日思ってるけど、この先も一生、ママのことでメソメソしそうです。 最近、いつかこの世で一人になるんだと考えてしまい、どうしようもない不安と闘っています。ばばがママと同じ病気になっちゃったよ。普段ぜったいに泣かないばばが泣いてたよ。「頑張るけど、弱いんだ」って苦しそうにしてたよ。何十年も頑張ってきたお仕事もやめちゃったよ。ママ、どうかばばを助けて。ばばの命と心を救ってください。大事な娘を亡くした悲しみと、孫を育てる責任を感じながらも、誰よりも頑張ってくれたばばをこれ以上苦しめないでほしいです。ママの力を貸してください。わたしが支えになるから、頑張るから、だからまだ、ばばをママのところに連れて行かないで。お願いだから。家族みんなでがんばるよ、ママのぶんまで生きるよ、ぜったいに諦めないよ。 ばばをはじめ、家族が健康でいられるように、ママの力を貸してください。わたしからのお願いです。 ママに会える日まで、わたしはこの命と人生を大切に一生懸命生きます。わたしを支えてくれる、愛してくれる、優しさとあたたかさで包んでくれるすべての人に、ママからのお恵も注いでくれたら嬉しいです。 伝えきれないくらいだいすきだよ。 まさよ
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